卒業アルバムをスキャン電子化して捨てて、湧き上がるこの想い
卒業アルバムを捨てた。一応、スキャンして電子化したが。捨てた。
捨てたのは、小学校・中学校・高校のものである(大学は所有していなかった)。自分にとって卒業アルバムは、時々ひっぱり出しては読み返すものであったが、最近は特に見ることもなかった。卒業写真のあの人は優しい目をしていたのだろうが、単なるお荷物的存在であったと言えよう。
なぜ卒業アルバムを処分したのか
このようなお荷物的存在だったので、処分するのも自然な行為と言える。断捨離、というと聞こえはいいが、単なるお荷物処分である。どちらかと言うと誰か(特に親族)に勝手に見られるのも嫌なので、終活に近いと言った方が良い。電子化すれば、適当にパスワードでも掛ければ良い。仮にデータが消えたならば、その時はその時、という感じにあきらめもつく。その程度の存在だったので、処分した。
そして今後、卒業アルバムが必要になることがあるかと考えたところ、「ない」というのが脳内会議で満場一致の結論であった。どう考えても、なくても自分の人生で困らない。「あの人、今頃何やってんだろうな~」という思いを馳せることは可能だろうが、不要な時間である。どうしても、というのならば電子化されたデータを見れば良い。
どのように処分したのか
これはもう業者である。自炊なんて思いもしなかった。というのも、卒業写真はサイズがでかい。こりゃもうさっさと業者に頼むが良い、と考えて郵送し、注文した。
ネットで「卒業アルバム 電子化」などと検索すると、どうも以下の2社が大手のようであった。
結論から言うと、自分はアルバムコンシェルジュの方を選んだ。勝因は、価格である。アルバムコンシェルジュの方が安い。特に自分は、「卒業アルバムを大事に大事に保存したい」という気持ちもなく、単に備忘録として記録されれば良いというスタンスである。このため、安ければ質なんぞなんでもいい、くらいの認識で注文した。
できあがったモノについては、特に不満はなかった。特にこだわりがないならば、安さでアルバムコンシェルジュを選ぶと良いのではないだろうか。
処分した結果、何を想うのか
では、処分した今、どのような感情があるか。
実を言うと、ちょっと虚無感があったのな。自分としては、出身校にそこまで愛着もなく、旧友との親交も限られている。このため、卒業アルバムなんぞ失くなってもいいと思っていた。だが、実際にこの世から「モノ」としての形を失うと、なんとなく寂しさがあったのも事実である。卒業アルバムに対して何か思い入れがあったわけではないが、これまで時々卒業アルバムを引っ張り出してページを開いていた自分が、その思い出が、消えてしまうような気がしたからだろうか。
実際、迷いもあった。「卒業アルバムを電子化して処分しようかな?」と思いついてから、実行に移すまではタイムラグがあった。
とはいえ、後悔は全くしていない。決断して、実行に踏み切れば、「やめておけばよかった」なんて感情は全くないのである。実行までの心理的なハードルは高かったが、実際に処分した今、すがすがしいとまでは言えないが、身は軽くなったような気がする。
それよりもむしろ、こういった価値観の変化に少々驚いている。卒業アルバムなんて、日本人すべてにとって、永遠に保管しているものだと思っていた。これから先の未来では、卒業アルバムを制作しない学校も出てくるのかもしれない。そうすると、廃業してしまう写真屋も発生するのではないだろうか。そのような価値観の変化とか、社会の変容が、なんだか不思議にも不安にも思うのであった。